日常に刃物 「くっはぁ…」 職場の従業員用控室… パイプ椅子に浅く腰掛け、簡素なテーブルに突っ伏したまま盛大に溜め息を洩らすと、横に居合わせた衛宮が心配そうに近付いてきた。 視界を埋める前髪の隙間から、錆色の頭が揺れる。 「どうしたんだ? らしくない…」 「いや、大丈夫。 予測していたツッコミが思いの外クリーンヒットしただけだから…でも……今はそっとしておいて…」 「そうか…じゃあ、先に行くぞ?」 「おーう、ちゃんと時間になったら復活するからー」 先に勤務時間になった衛宮はテキパキと作業着に着替え、不安な面持ちでこちらを見詰めてきたので軽く片手を振って見せると、苦笑しながら控室から出て行った。 遠ざかる足音を確認してから上体を起こし、パイプ椅子に深く座り直して再び溜め息を吐いた。 天井をぼーっと見上げ、グロウランプの切れ掛けた蛍光灯を数秒見据えてから瞼を閉じる。 直前まで点滅気味の蛍光灯を見ていたせいか、瞼を閉じても暗闇はチカチカと幾何学模様を網膜に写し出す。 そうして、今度は段々と別の情景が脳裏に浮かんでくる… 「いつかはなぁ…言われると思ってたんだけどさあ…」 事は昨日… 久しぶりに仕事が休みで、特に急いで片付ける用事も無かったため玄関先の掃き掃除をしていた所… 珍しく近所の奥様方が笑顔で挨拶をしに来たのだ。 正直、御近所付き合いなんて面倒臭くて… 顔を合わせても精々軽い会釈で済ませ、回覧板は夜勤を理由にポストに入れておくだけで、世間話など殆どした事がなかった。 なるべく早く話が終わる事を祈りつつ、顔面に笑顔を張り付けて挨拶を返した。 すると奥様方は一斉に詰め寄り、質問を浴びせてきた。 手始めに最近の仕事状況を聞かれ、続いて両親の事を聞かれ、脱線して奥様方の買い物リストを聞かされ… そろそろ笑顔が引き攣りそうになってきた所で、一人の奥様が満面の笑みでとんでもない事を口にした。 「そうそう! ちゃんトコに出入りしてる御兄さん達、いいわねぇー格好良くてっ!」 「はいっ!?」 もう、笑顔は完全に剥がれ落ちた。 …奥様方が聞き出したかった内容、それが我が家に出入りしている男連中の話なのは明らかだ。 なにせ先程とは比べ物にならないくらい… 奥様方の瞳は黒々と輝いているのだ。 話すトーンも心なしか高い気がする。 「黒スーツの御兄ちゃんと黒子の御兄ちゃんは礼儀正しいし、青髪の御兄ちゃんは元気だしねぇ!」 「そうそう!」 「素敵よねえ〜!スラッとしてて!」 こないだなんてお魚頂いちゃって、悪いわねえ!と笑顔で肩をバシバシ叩かれる。 「そ、そうなんですかあ〜…あはははは」 (なにやってんだ…アイツ!) 「金ピカの御兄ちゃんは口悪いけど子供には人気で…こないだなんてうちの子と遊んでもらっちゃって!」 「子供にはちょうど良い相手で良かったです〜」 もう自分でも何を言っているのか解らない。 耳元で響く甲高い笑い声が脳内で反響する… 兎に角、すぐにでも握り締めているホウキを奥様方に投げ付けて自室に引き籠りたくなった。 奥様方から繰り広げられる怒濤の質問攻めと、触れられたくない部分へ的確に突っ込んでくる精神的ダメージに、頭痛がしてきた頃… 最高のクリーンヒットな打撃が御見舞いされた。 「それで、 ちゃんのイイ人は誰なの?」 ………… 「だぁああああっ!!!もうっ!」 思い出しただけでもイライラする!! 無意識に大声で叫んでしまった。 どうせ店はまだ混雑するほど客も居ないだろうし、少しくらい聞こえた所で構うものか。 ふと視界に入った業務用ダスター(布巾)の段ボールを蹴り飛ばしてやろうと、パイプ椅子から立ち上がった矢先… パタパタと近付く足音。 入り口を肩越しに振り返れば、心配そうにこちらを見詰める衛宮の姿。 「 、本当に大丈夫か?」 「…大丈夫だ、問題ない。」 何とか棒読みで短く返すと、衛宮は苦笑を浮かべて顔を引っ込めた。 はぁ、と盛大に溜め息を吐いてから時計を見れば、もう出勤時間だ。 上着を乱雑に脱ぎ捨て、鞄から作業着を引っ張り出して袖を通す。 控室から出てタイムカードを出勤時間ギリギリで押し、店内に向かう。 すると衛宮が目の前に立って、小さく囁きながら客席を指差す。 「 が接客してこいよ、他は俺が回るから…」 その方が気分的に楽だろ?と、微笑まれて店内に目をやれば…各テーブルに見慣れた顔が数人。 はぁ、と短く息を浸いて「ありがと」と伝えれば、衛宮は満足した様で足取り軽く自分の仕事へ向かった。 衛宮は上手く気を遣ってくれたのだろうが… 実際は、彼等がまさに苦味の種なのだ。 そんな事はきっと、彼等は知りもしないのだろう。 こうして荒んでいても、何の解決にもならない。 そう気持ちを切り替え、姿勢を正し客席へ向かった。 (誰がイイとか…そんなの、分かんないっつーの。) |